富士山の麓出身、生まれてからずっと富士山一合目在住。
富士山大好き勝手に富士山観光大使♡
関西弁バリバリ大阪出身の父と静岡出身の母を両親にもつ
料理上手な母を持ち、甘いもの(おやつ)<お出汁大好きご飯しっかり食べたい派
サーフィン・スノボ等バランス系スポーツが得意
中国にホームステイ中、毎朝太極拳を舞った思い出もある気功歴22年
アメリカに留学し憧れのオーバーオール『小学生が留学してきた』と噂になる
静岡県立富士高等学校卒業後、首席にて静岡大学大学院人文社会科学研究科修了、修士課程取得
夢だった中学校教諭『ジャージが既製品の生徒が先生をしている』と噂になる
教員時代に1組から6組まで一喝したよく通る声(鈴の音ボイスと言われます!)
元公務員(中学校英語教諭)、TOEIC最高850点。中高の専修免許取得
待つ力最初にして最大の強敵、父
▲オシャレ母が私にパーマをかけたら保育園でパーマが大流行した頃の父子3ショット♡
人間関係で一番苦労したのが実は父。父にはもちゆり最大の特徴『待つ力』をとことん養ってもらいました。
小さい頃、父と母と弟と私で近所のスーパーに行くと、入り口から別行動をとる父を尻目に3人30分で買い物を終え、1時間父を探すのが家族の休日の過ごし方でした…人は迷子になって困った!と思うと『探して!アンテナ』が立つけれど、自分の興味の赴くままに移動してしまう人は、探す方が足跡を辿るだけでなかなか本人は見つからないのです。
もちゆりの人間関係形成の根幹にある『相手を待つ力』は、幼少期から父を延々と淡々と待つことで育まれました。
地元教員時代、悪いことをして無言で押し黙る生徒。私は話すまで一夜を明かすつもりで横に座ります。そうすると『この人、何時間でも何日でも待つつもりだ…』と生徒にも伝わるらしく、生徒は根負けして15分で話し出したりします。
昔から父のお陰で腹は据わっていました。10年でも20年でもなんなら一生でも、待つよ!あなたの人生が、笑顔が、きらめく瞬間を。そのつもりで目の前の人に接しています。
平等性母直伝もちゆり家家訓
▲私の母の手料理を囲む私の親友、弟、弟の友達たち(私はカメラマン)
弟や私の友達が家に遊びに来ると、お昼には大鍋でうどんを茹でたり富士宮焼きそばを大量に焼いたり、ご飯を皆に振舞ってくれた母。親戚中の子どもを引き連れてキャンプに行き、うちの子もよその子も分け隔てなく面倒をみてくれた母方の祖父母を見て育ってきたもちゆり家は、とにかく面倒見がいい!
地元教員時代も、授業や部活で関わった男子は全員名前に君付け。女子は全員名前にさん付け。名前の呼び方一つにしても徹底的に公平なので、生徒は安心していたそうです。
参加者さんによく言われるのがこの『公平さ』講座や参拝は、初めての方も常連さんも皆あっという間に溶け込んでしまう温かい空気に包まれることが多いです。
徳を積め!母直伝もちゆり家家訓part2
▲水戸でご老公ご一行に囲まれる私、祖父、弟、祖母、母(笑)
とにかく物心つく前から、もちゆり家の家訓は『徳を積め!』困っている人を助けるなど大それたことでなくても、自分と自分の周りが幸せな方向は常に模索していました。
『お天道様は見ている』ことも小さな頃からよく聞かされていたので、トイレの個室の中だろうと(笑)、適度にいい人です!参拝中のゴミ拾いはもう、もちゆり参拝の常識!参加者さんにも伝搬していて、毎回気持ちの良い参拝が加速しています。
家族旅行は神社仏閣巡り神社仏閣が好きな弟と滝が好きなもちゆり
▲家族旅行で訪れた滝で浄化中の大学生もちゆり
園児の頃から家族旅行はだいたい【滝と神社仏閣】だったもちゆり家。神社仏閣が好きな弟が日本中にあるコアな神社を図書室で調べてきて『ここに行きたい!』と言い出します。
すると、その近くの滝は〜〜があるから私はそこに寄りたい!と言い出す姉(私)。仲の良い二人姉弟にとって、昔から神様仏様ご先祖様は身近な存在でした。
難病で何度か死にかけてから、よりその思いは強まるばかり。そのうちもちゆりと一緒に参拝に行くことで、人生が好転する方が増えていきました。そうやって現在のもちゆり参拝の原型が出来上がっていきました。
努力と根性地元強豪ミニバス時代
▲TAKAOKA SKY ANGELS優勝おめでとう☆な一枚
小学校4年生〜卒業まで在籍したミニバス地元強豪チーム、鷹岡スカイアンジェラスでの水曜と週末の活動。万年補欠の身でありながら小学6年生で『皆勤賞』を受賞!優秀選手には一度もなりませんでした(笑)が、超ド級のど根性が備わった瞬間でした。努力は必ず報われる。
少なくとも私の世界では皆勤賞がついて来た!ミニバス時代に頂いた皆勤賞は、私の最初の心の勲章です!
病気は救世主難病発症→克服
▲面会謝絶の初めての入院でパルス療法を2回やった後の副作用MAXな中1時代
克服した今、膠原病の一種・全身性エリテマトーデスになったことは感謝しかありません。患部が痛みを引き受けてくれなければ、私は生きてはいられなかったから。
中学1年10月、上記の環境社会からすっかり【いい子がいい】んだと勘違いして120%いい子でいようとした私に、病気が立ち止まってもいいことを教えてくれました。
今では【適度に】いい人であるコツを覚えまして。難病期間は『私の中の拭い切れていなかったネガティブや痛みを引き受けてくれてありがとう』患部をさすり、感謝する日々。
私にとって病気は救世主。病気にならなければきっと生きてはいられなかった。闘病とは真逆の、辛い時代をお互い支え合い依存し合う共存期間でした。
病気は個性病気は言い訳じゃない。やりたいことは全部やる!
▲自分の書道作品の前でピースするギャルJK(クラスで一番スカート短かったらしい…)
病気との20年の依存関係。思春期を病気と共に過ごしました。
私には【普通の10代〜20代】はなかったかもしれないけれど、病状が深刻だった12歳、明日目が開かないかもしれない恐怖で三日三晩寝ずに病室のシミを数えたことがある人もそんなにはいないはず!? ステロイドの副作用が怖すぎて拒食症になったり。
病気にならなければ私はきっとこんなに感情の動く人間にもならなかった。痛く苦しかった経験も今や全て、立派なプライスレスな私の生きる糧。
やりたいことは旬のやりたい時(今)にやればいい。気合いで生きてきたので、病気でも果敢にいろんなことに挑戦し、たくさんの喜怒哀楽を経験しました。
大学時代には中国に気功でホームステイしたり、英語の診断書と一日十数種類の常備薬を握りしめてアメリカに留学したり。(表題プロフィール写真は留学時のもの。本場のクオリティに舌を巻いたハロウィン参列)
病気だからと言って、可哀想と思われたくはなかった。でも一方で病気に甘えてもいました。
『そろそろ治ってるはずなんだけどな。。。』もう病気からは学び尽くした。病気に頼る生き方をきっぱりと卒業して数年、薬はいらなくなっていました。(ただいま寛解状態6年目)
▲大学時代の友たちの結婚式の入場曲は私の声楽♫ 式場スタッフの態度が変わる腕前(笑)
▲四年間毎年勝手に(笑)学部代表で模擬店を出店。黒字売上で参加者全員で毎年盛大に打ち上げていた!
▲体育では発揮されなかった(笑)バランス能力♫ クルクル回って曲芸スノボしてました!
見えない力気功歴22年
▲肉眼では泥のついた鳥も気を切り取ると神様のお使いさんでした!
難病で入退院を繰り返し、何度か死にかけました。40℃の高熱が5日間下がらなかったことも。私の病が西洋医学では治らないことを知った母は、あらゆる代替医療を私に施します。
その一環で始めた気功は現在22年選手。死にかけた経験で第六感が目覚め、病気を克服した今、産土神社リーディングや手から出るエネルギーでヒーリングや運気アップのお仕事を行っています。
右の写真のように、昔からその場のエネルギーごと写真を撮るのが特技!よく隣で同じアングルで撮ってた友達に驚かれました!
▲区長だった祖父の紹介で富士山本宮浅間大社で巫女さんとしてバイトしてた頃☆
▲大学1年からお世話になっている元極学の米強先生から伝授を受けるの図。
18年培ってきた教える力家庭教師〜中学校英語教諭時代〜現職
▲離任式では8畳一間が埋まるほど沢山のお花やお手紙をいただき、先生やりきりました!!
中学校卒業後、地元進学校への入学が決まった春休みに、初めてやった短期バイトも【公◯の先生】。
その後も大学〜大学院6年間、丸々勉強を見ていた生徒もいるほど、家庭教師は天職でした。家庭教師〜教員時代〜今の講座、教えることに携わって、早18年!?とにかく私の教え方は【分かりやすい】そうです。
田舎の先生には珍しく教員時代も自費で東京まで最先端の教授法を研修しに行っていました。
そして今でも私自身一年間の半分以上を、学びに費やしています。勉強のコツは今、学んでいる内容を【私だったら、どう伝えるかな?】そうやって気功や参加する全ての学びを、自分の中に落とし込んできました。
私が実践&経験して納得した内容を生徒への時代を経て、お客様へ!!日々アップデートされる講座には私が生き延びてきた、どなたの生活にも何かしらヒントになる、おばあちゃんの知恵袋のような、今すぐ実践できる生きる知恵がちりばめられています!
▲1年2年3年縦割の担任三人で仲良くお揃いのパンツは毎年恒例でした♡(服飾卒の母お手製)
▲3.11の次の年、学年部全員の運動会Tシャツ作らせてもらって復興を祈った!
▲クラスの旗を作ったり、全員にお守り作ったり、クラス一丸となって士気を高めて運動会では7年間連続優勝!